女の子の憂鬱

「女の子の憂鬱」

生々しいことを言うようだが、
私はほぼ毎日死にたくなる。
3日に1度だとしたら、かれこれ
365÷3=121.666667
121.666667×5=608.33333333
くらいは思っているのではないか?
いや、多分もっとだな。

「死にたい」と言っても
実際に行動をとったことは未だに無くて
多分これからも無いのだと思う。
私にはそんな勇気も決断力も無い。
口癖のように何年も重ねてきた気持ちや感情は、
きっと私にこべりついていて
既に、なかなか落ちない頑固な油汚れみたいな感じだ。

「死にたい」と思って、何度も死に方を考えたことはある。
ある意味、想像では何度も自分を殺しているのかもしれない。
例えば、昔から言っているが一番の理想は
「猫を助けて死ぬこと」である。だけど、私の手は愛しい猫を撫でるために何度も何度も動く。
また、向こうから走ってくる電車をホームから見て「あーこのタイミングで行けば結構グロい感じに死ぬのかな。血だらけだしきっと、その飛び血みたいなのが後ろに並んでいる人や電車に跳ねちゃって出勤前のスーツ汚しちゃうなあ。」とか。
でも飛び込みだと、きっとこのあと電車が止まっちゃって沢山の人に迷惑をかけるし、親とかにその迷惑代金みたいなのを払わせる羽目になるって聞くよなあ。そしたらあれか、親は悲しさよりも先に事実に直面して空っぽになりそうだなあ。とか。
そんなことばかりを考えては、毎日毎日電車が通過するのを見送り、普通の顔で乗車をする。
あとは、「もしオシヤがいたら」と仮定して背後を気にすることだってある。昔読んだ本に「殺し屋」の種類のひとつとして「オシヤ」が出てきた。要するに、人混みの中でターゲットの背中を押して車の目の前や、電車のホームなどに押して殺してしまうものだった。他には自分の手を汚さずに自ら死を選ばせる「ジサツソクシンヤ」的なやつだ。だから、本当にそういう職業がこの世に存在するのだとしたら結構ゾッとするが、以前の私は「東京はそういう街だ」と思っていた。だから上京するときはちょっと怖かったなあ、なんて思いながら、本の舞台だった渋谷スクランブル交差点の先頭から3歩ほど下がり(万が一押されたり転んでも頭が轢かれないように)何度も何度も赤信号が青に変わり、それから安全な横断を繰り返した。
「ここから飛び降りたら」みたいな想像だってよくする。最近だと、新しく始めたバイト先の屋上だ。都会の真ん中で夜はそこに電気がなくたって明るい。「ここ結構いいですよね」って私が言ったら、「僕も写真を撮ろうと思ったことがあります。でも人が来たら面倒だし」と言っていたのを思い出した。私は、「そういうもんか〜」って思いながら階段を降りて行ったんだけど。その少し前、バイトが終わって、初めてひとり屋上で下を覗いたとき「落ちた時のスピード感」が妙に気になった。結構人通りの多い場所だが、落ちてゆくとき体は思ったより軽いかもしれないじゃないか。ふわふわ紙みたいに浮遊して、隣のビルにぶつかったりはしないか?じゃあ逆に重過ぎて、人の上に落ちてしまったら、人はぺちゃんこになって内臓とか全部プリントアウトしたみたいに呆気なかったりするのかな?ああ、そもそもバイト先の目の前で死ぬのは、せっかく仲良くなったみんなに悪いなあ。とか。そんなどうでもいいことを考えながら寒空の下で電話を繋いだ。何事もなかったみたいに話した。それから、何度も何度も登ってきた階段を踏みしめながら降りては「お疲れ様でした」とみんなに挨拶をする。
じゃあ首を吊るなら?と考えたことももちろんあるが、私的には一番想像ができなかった。なんか生々しすぎてちょっとだめだ。その先の話をするとするならば、お花の冠みたいなので首元を飾りたいな。枯れそうなお花を束ねて紐で縛って、綺麗なままドライフラワーにしたことなら何度だってあるけれど。
そういえば、手首を切ろうと思った事だってある。昔の恋人と別れたときだ。呆気なく振られてしまって、私自身、常日頃「存在価値」みたいなものを探求するタイプだから結構凹んだ。この人にとって私は飾りでしかなかったのか…と感じたとき、まあ私もおんなじような気持ちだったことに気づいたんだけれど。だから、あんなやつのために自分を傷つけなくて本当に良かったと思う。(根性焼きもしてやろうと思った)でもね、そのあとすぐもっと素敵な人に出会えた。まあもう別れちゃったからこれも昔の恋人の話になるけれど。
こうやって毎日毎日、じゃあ一人暮らしの家で心臓が急に止まったら?夜の散歩中突然通り魔に襲われたら?地震が起きて全部無くなったら?なんて取り止めのないつまらない想像ばかりを繰り返して、自分を何度も何度も殺した。
でもそのたびに、じゃあ私の大切な猫はどうなるんだろう。私の身元が発見されるまで数日間ご飯食べれなくて、家族のもとへ引き取られてしまったら"毎日餌をくれていたあいつ"のことを忘れてしまうのかな。とか。家族は絶対に自分より先に死なない未来を想像していただろうけれど、残りの人生は生きた心地がするのだろうか。とか。自分のために涙を流す友人は片手で数えるくらいはいるかしら。とか。私のことを今思ってくれている愛しい人はいるだろうか。もしくは、今後出会う可能性もあったかもしれないな。とか。もし仮に、万が一、私のことを思って涙を流してくれる優しい人がいたとして、きっと数日後には普通に笑ってくだらない下品な会話もするだろうし、それが生活で生きるということだろうな。とか。そんな答えの出ない問ばかりと向き合っては、なんとなくまた投げ出してを繰り返す。
「あーあ」
今日もまたくだらない夜を過ごしてしまった。憂鬱をどれくらい育ててきて、いまどこまできているのだろう。ジャックと豆の木みたいな形だろうか?いつかお空を突き抜けて巨人が食べてくれたりするのかなあ。モグモグ。
結局、どれだけ考えたところで、私は今日も生きているし、明日の朝ごはんのことを眠る前に考える平凡な頭だ。どれだけ凹んでも、どれだけ憂鬱でも、私には寝たら忘れるという特技だってある。「いいね」と言ってくれる人もいれば「なんだか悲しいね」と言ってくれる人もいる。都合いい時もあれば、やっぱり忘れたくないことだってあるよ。人間だもの〜。
私の夜はあっという間に過ぎてゆく。
これから生きていって、またきっと何回も殺していくだろう。でもまたなんとなく明日が来て、なんとなく起きて、ご飯食べて、バイトして、寝て、その繰り返しだ。たぶん、人生ってこんなもんだと思うの。

これは、ひとりの女の子の憂鬱な夜の話。
じゃあ、またね、おやすみ。

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「女の子憂鬱」
1. 楽園 
2. きみは美しい 
3. 街と花束 
4. 揺れるドレス 
5. ロマンスと休日 
6. ヨルニ 
7. 朝が来るまで、夢の中
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